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叔母を思い、オナニーを繰り返したのはいつごろなのか?

私には中高生の頃、実の叔母との変態行為とも取れる体験談があります。2chには何度か書き込みしたのですが、ここで改めて清書させてもらいます。
当時、叔母は40代前半でそれは奇麗な人でした。体格は小柄ながら、巨乳で巨尻、まさにフェロモンを体中から発散している様な女性だったのです。
その体験とは、叔母が巨大な乳房を私に押し付け、また私が下半身の勃起物を叔母に擦り付けるという行為です。それも身内の人間が傍にいる時、人知れず無言で、そんな行為を繰り返しておりました。
まさに阿吽の呼吸で叔母が私の下半身に触れたいときは、私はなるべく、その体勢を作ってあげ、私が叔母に触れたいとき、叔母はいつも、その体勢を作ってくれてました。
でも、そんな行為がいつごろから始まったのか?叔母に対して、異性を感じたはいつごろなのか?叔母を思い、オナニーを繰り返したのはいつごろなのか?私にはまったく記憶にありません。
結局、その叔母との性行為はなく、今思えば後悔の連続ですが、私の大切な「蒼い体験」なのです。

エピソード1(叔母の履歴書)
叔母は高校在学中に2度も妊娠と中絶を繰り返していたヤリマンだったらしいのです。卒業後、都会に就職し、生家である我が家に帰省の際は、毎回違うボーイフレンドを伴っていました。数年が過ぎ、叔父(現在は離婚)と結婚し、私と同年の長男を授かり、その6年後に長女を出産したのです。
帰省の際は必ず私と風呂に入って、自分の子供以上に可愛がっていたみたいです。

エピソード2(最初の押し付け?)
記憶が曖昧なのですが、たぶんこれが叔母の最初の「押し付け」だったのではないでしょうか・・・
私が中学生の冬の頃、叔母が道で滑り、足首を捻挫したことがあります。母の運転する車で病院へ行きました。その際、私が叔母をおぶって診察室まで運んだのですが、その行為が叔母には嬉しく私をベタ誉めしたらしいのです。たぶん、その時に背中越しに叔母の巨乳を感じ、また外出時には私の肩に寄りかかり歩行をしていた為、その感触が堪らなく私をオナニー小僧に変貌させたのではないでしょうか?
叔母を女性として意識し始めてから、私も「あの巨乳を生で見たい」願望にかられ、偶然を装い入浴後の全裸を見た事があります。叔母も驚き慌てて両手で隠してましたが今でもはっきりと憶えています。
おっぱいは物凄く大きく垂れていて、乳首は小さく乳輪は大きく肌色、陰毛は薄め。腹はぶよぶよで弛んでいて太腿はかなり太めでした。
でも昔から現在まで、この叔母こそが私の下半身を最も刺激する女性像なのです。

エピソード3(叔母のアソコ)
これも中学生の頃の夏の出来事です・・・。この頃からだと思いますが、叔母は私が肘枕で横になっていると、私の下半身の辺りを背もたれにして座ってきていました。丁度、私の勃起棒が叔母の巨尻に当たるのです。最初は勃起しているのが恥ずかしく、少し腰を引いたりしていましたが、巨尻の感触があまりにも気持ちよく、段々と押し当てるようになりました。一度あまりの気持ち良さに強弱を繰り返していたら、射精してしまったこともありました。当然、苦しいくらいに脈打っている勃起棒は叔母にも伝わっているはずですが、いつも素知らぬ顔でテレビを観ているのです。もうこの頃になると「押し付け」と「擦り付け」の繰り返しです。
そんな、ある日、母と叔母がリビングで何やらヒソヒソ話をしていました。何か怪しさを感じた私は、その外出する2人のあとをこっそり追いかけました。もう夜中なのにどうやら近所の薬局屋に裏口から入っていきました。聞き耳を立てると、どうやらナプキンを購入しているみたいです。叔母を意識しだしてから、帰省の際、バックの中身は確認済みでタンポン派の叔母が今回も持参しているのを知っていた私は?でした。その後、汚物箱を確認すると剥がしたテープ部分の裏が捨ててありました。
翌日、叔母の起床を待ち、朝一番のトイレを後追しました。汚物箱の中を確認するとありました。ティッシュ・ペーパーに包まれた、ナプキンが・・・。でも真っ赤に染まってるはずの、そのナプキンには何も色が付いてないのです。まだ暖かさが残る捨てばかりナプキンの自室持ち込み、じっくり観察しました。すると、あそこの部分は、ぐっしょり濡れテカテカに光り、ネバネバしてるのです。臭いを嗅いでも無臭でしたが、触るとヌルヌルして糸を引いてます。そして覚悟を決めて舐めてみると・・・かなり塩っぱく生臭いような味がしたことを憶えています。これが私のマン汁吟味初体験なのです。叔母の大事な所を制覇できた様な達成感と満足感、愛おしい叔母の体内から出てきた大切なものです。さんざん舐め尽したあと、そっと汚物箱に返しておきました。
たぶん叔母は自分のあそこが異常に濡れるため(潮吹きかも?)、母に相談してナプキンを代用にしていたのではないのでしょか?その頃はまだ女性のあそこが濡れているのは知ってましたが、あそこからマン汁が溢れ出る・・・なんて知らないころです。
今にして思えば私の勃起棒で叔母のあそこがぐちょぐちょになっていた・・・こんな妄想をしています。
エピソード4(叔母との阿吽の呼吸)
叔母の家族は年間連休の度に10回以上は帰省していましたが、私も叔母の家には何度も泊まったことがあります。その日は両親と私の3人で姉は不参加でした。
叔父の車で両親と叔母の長女は出かけました。叔母と私は待ち合わせ場所で合流する為、満員電車に乗ったのです。いつも芋洗い状態の、その電車は夕方ということも重なり、大変な混み具合でした。私はドアのすぐ前に陣取り、ドアにもたれかかり、叔母が私の前に位置しています。直立で立てば私の下半身は叔母の腰のあたりにくるのですが、満員で揺れるため、私は足を開き少し中腰のような体勢でいました。丁度、叔母の臀部が割れ目が、私の勃起棒に直撃しているのです。また揺れに合わせて上下左右に動くため、かなりの気持ち良さでした。叔母も巨尻を押し出すように擦り付けてきました。しばらくすると叔母の前に居たハゲ親父がニヤニヤして叔母を見ているのです。叔母は露骨に嫌悪感を露にし私のほうを振り返って見ているのです。それに気付いた私は叔母を奥にして、そのハゲ親父の睨み、両腕でドアを支えて、バリケードのごとく、その中に叔母を導きました。まるで私に抱かれるような格好で今度は叔母が正面を向き、叔母の腰の辺りに私の勃起棒が付いています。叔母は私の足を自分の両足で包み込むように密着し、土手を私の太腿に胸を私の上半身に押し当ててくるのです。もう心臓も下半身もバクバク状態でした。「やさしいのね?ありがとう~」なんて囁かれ、叔母は気持ち良さげな顔をしていました。私は叔母を変な男から守った満足感と優越感で有頂天になっていたのです。到着駅に着くとハイヒールのため、階段の登り降りでは私の腕に絡みつき、集合場所まで急ぎました。
その後、全員で中華料理を食べ、叔父の運転する車に乗り込みました。助手席には父が座り、後部座席には運転席側から私、叔母、長女、母が座りました。なぜか叔父の車に乗るときは叔母に命令され、必ず私が叔父の真うしろになっているのです。これは想像ですけど、運転席から死角になり叔父に気付かれないからかもしれません?。でも、この時の叔母の押し付けは凄かった・・・。大人連中は少々アルコールを嗜み、母や叔母はホロ酔い気分だったのです。そのせいか暗黒の車内で私の腕に絡みつき、ぐいぐい右腕に巨乳を押し付けられ、左手は私の太腿を擦っていた記憶があります。
翌日、叔父と出かけて遅くに帰宅した私は、まだ湯気が残っている風呂に入りました。叔母の家は風呂場の中に洗濯機が置いてあるのです。以前から入浴の際は洗濯層の中から叔母のパンティーを探し出し、臭いを嗅いでオナニーをしていましたが、この日に見つけたパンティーは凄かったのです。ベージュのパンティーのクロッチの部分が異様に汚れているのです。糊でも塗ったみたいにゴワゴワしていて、アンモニア臭とスルメ・イカの様な強烈な臭いなのです。でも以前から、その味を知っていた私は何ら抵抗もなく舐めていたのです。下半身はいきり立ち、最後はクロンチの部分の汚れが無くなり生地が破れるくらい味わいました。風呂場で3回も続けてオナニーしたのは初めてでした。
風呂から出ると「長湯だったね~」なんて風呂上りで化粧なしの叔母に笑って言われましたが、その後、叔母宅へ行くと風呂場の洗濯層の中は常に水が張ってあり、それでも叔母の下着を見つけて、嗅いだり舐めたり穿いたりしていました。今にして思うと、擦り音でも聞こえていたのかもしれません。
その翌日、急用のため叔父が運転して送っていってくれたのですが、座り位置は昨夜と同じで、出発してから家に着くまで、私の右腕には叔母の巨乳が、ずっと押し付けられたままです。叔母は補正下着を着用している為、端が尖っていて硬く本当に心地よいのです。車の揺れに巨乳が上下左右に動くため、もう下半身はず~っと立ちっぱなしで、休憩と給油でドライブ・インに立ち寄った時、もう我慢できず大 便所に駆け込み急いで抜いてしまいました。公共の公衆トイレで爆発させたなんて、後にも先にもこの時が最初で最後です。
その後も同じ状態が続きましたが、ついさっきおとなしくなった息子がまたまた元気になっているのです。横目で叔母を見ると目をつぶっているし、あげくの果ては私の肩に頭を乗せて寝息をかいています。押し付けに飽きたか?同じ体勢が疲れたのか?叔母は夕方の暗くなるころには、両手の指を重ね合わせ自分の腹の上あたりにもっていっています。体もさっきまで私の後側のキープしていたのに、今度は私を後ろにし自分体を前側にもってゆきました。そして叔母の左肘が私の太腿の付け根付近に置かれいるてのです。何とか叔母に勃起棒を触って欲しかった私は体をさらに叔母の後側に、こじ入れていきました。その時、私の肩に乗せていた頭を逆側に持っていき寝返りをうち、その瞬間、叔母の左腕は完全にイキリ立っている私の勃起棒の上に乗っけてきてくれたいのです。私もなるべく自分の体重を右側に傾け、より深く強く長く、触れてもらえるよう賢明に努力をしていました。私の右胸が完全に叔母の背中に隠れ、ぴったりとひっついているわけです。私の心臓の激しい鼓動は確実に叔母にも伝わっているはずです。そんなときは、そっと上着を下半身の上に掛けて、隣から見えなくしてあるのも阿吽の呼吸なのです。でも、いくら隠してあげても残念ながら直接、手の平で触られたことは、一度もありませんでした。

エピソード5(まるで足コキ)
たしかお盆休み・・・夏の暑い日でした。いつもなら叔父の運転する車で片道3時間かけ帰省する叔母ですが、この時は電車で一人でやってきました。駅までチャリンコで迎えに行くよう父から言われ、私も一人出かけて行きました。到着は夜7時すぎで、手荷物を前方の籠に押し込め夜道をとぼとぼ帰っていきました。馴れない電車での帰省に叔母は「足が疲れた・・・棒のよう」なんて話すから、また叔母に触れれることを期待して「帰ったら足のマッサージしてあげる」と話すと大喜びでチャリ後ろに横座りしてきたのです。じゃあ・・・とチャリを漕ぎだすと当然、私の腰に手を回し、落ちないようにしがみついてきました。チャリはママ・チャリでしたから、当然、叔母の腕が私のヘソの下あたりにきて、勃起した下半身ごと締め付けてきました。臀部には叔母の巨乳が当たってるし・・・わざと遠回りして帰宅しました。またもやブリーフはベトベトで我慢汁がどくどく出てくるのがわかるくらいでした。帰宅しても勃起は引かないから、鍵を閉めて5分くらい自室から出てこれなかったです。
私の家は当時、自宅で商売を営んでいました。両親は忙しく家族全員で夕食を一緒に食べることも稀で、親戚などが来たときは、いつも私に頼っていたのです。何か忘れましたが、この日も店屋物の出前を食べ、居間で寛いでいると、いつもどおりに私を背もたれにして臀部を押し付けてきます。でも私も若かったんですね・・・先程、自室ですっきりしてきたのに、また元気に回復してます。何事もなかったように叔母はテレビに夢中でしたが、突然「足が疲れた~」なんて要求してきました。うきうきしながら左足のふくらはぎを揉んであげました。すると右足をわざと伸ばして、足の裏が私の勃起棒に触れているのです。あまりの気持ち良さに、たぶん私の顔はひきつっていたと思います。右足揉みだすと、今度は左足で同じ場所を刺激してきます。母の「お風呂に入って~」がなければ確実に射精していたでしょう・・・。

エピソード6(コタツでの出来事)
コタツでの出来事なので冬ですね。その日は誰も居間に居なく、私は一人コタツでテレビを観ていました。テレビの正面ではなく、右側面に陣取り、腕を組み、テーブルにのせてその腕の上にあごを乗っけてウトウトと画面を眺めていたのです。「ただいま~」の声と共に叔母が長女と帰ってきたのです。「寒い、寒い」連発し、コタツの中に滑り込んできました。叔母は正面の右側キープし、隣に長女が座りました。私も叔母の声に反応して、体を左隣をもっていっているのです。これは2人だけが知っている阿吽の呼吸ってやつです。その呼吸に合わせて下半身もすでに反応しています。でも今回はその瞬間に信じられない体験をしたのです・・・。
いきなり組んでる左腕の鋭角に曲がっている肘の上い弾力の圧力が直撃してきたのです。外出時は必ず補正下着を着用している叔母の巨乳は先が尖ってて硬く中がフワフワ。まさに夢見心地な気分でした。腕や体に当たってる時も興奮しますが、肘の上に乗っかった感触は初めてで最高でした。よく心臓が口から飛び出すほどバクバクした・・・っていいますが、まさにそれです。今、考えれば私の胸鼓動の高まりを叔母も感じているはずですが、いつもどおり素知らぬ顔でテレビを観て笑っています。「たぶん気付いなくて手を動かして気付かれたら・・・」と思うと残念で、そのままじっと狸寝入りをしていました。手も体も動かせなく、もう下半身はイキリ立って痛くて痛くて・・・母が「おかえり~」と居間に入ってくるまでそんな至福の時は長時間続きました。
その後もすぐには起き上がらず、下半身をおとなしくさせようと、今度は足を伸ばして、うつぶせで寝転びました。これは叔母も後程の展開(下半身を背もたれに臀部擦り付け)がわかっているのか、足をコタツの中に伸ばして、腹筋をやる体勢で、体を両腕で支えて少し横向きなっています。薄目を開けて、こたつ布団の中を覗いてみると、私の下半身のすぐ近くに叔母の右手があるのです。先程の私の左肘へのお返しをしなくてはいけませんので、寝返りをうち、その右手の上に下半身を乗せてみたのです。もしかしたら手をどかされるのでは・・・なんて考えてましたが、心配ご無用。やはり叔母は無反応でそのままテレビを観続けています。
先程の私の左肘といい、今の叔母の右手といい、この日は初体験を2度味わいました。ただ残念だったのは叔母の右手の手の平ではなく、甲の部分だったことです。布団で隠れているせいか、叔母はその体勢のままで母と楽しそうに話を続けています。たまに手が疲れるのか微妙に手が動いていました・・・たぶんカチカチになった勃起棒はかなりの速さで脈打ち、いったい叔母はどんな感触だったのでしょう・・・それは父たちが帰ってくるまで続き声がした瞬間、スーッと手が離れていったのです。私は起きたふりをして自室に戻り、静まらない息子を折檻して、ぬるぬるになっているブリーフを履き替え居間にもどりました。叔母はトイレに行ったまましばらくは出てきませんでした。
この、コタツはもうひとつ、後日談あります。その日も私の定位置である左側面は空いていましたが、叔母は正面に長女と座っていました。私はいつもどおり左手で肘枕をして横になりましたが、隣の叔母まではかなりの距離があります。しばらくすると叔母も肘枕をして横になりましたが今回だけはいくら努力してもどうする事もできません。擦り付けが出来ない私はイジケてぼ~っとテレビを観ていたのです。向きを変えて今度は叔母に背を向ける形で右腕で肘枕をしている臀部の辺りに微かに人の足があたります。そっと、こたつの中を覗くと、やはり叔母の足の裏でした。チャンス到来です。もう想像だけで半勃起している一物の位置をコタツの中で整え、向きを変えました。叔母の足
の裏と私の勃起棒が合体です。わざわざ叔母を膝を折って足をその位置に持ってきているとしか思えない微妙な体勢をしていました。叔母は足の裏でも感じることができるのか?・・・謎です。叔母はテレビを観ながら笑い、その度に足を左右に動かすので、その振動がかなり気持ちよかったのです。また笑いついでに足に力を入れてくるので、こちらも、その際はうそ笑いして強烈に押し付けてあげてました。今でいうところの足コキってやつですね。
また、ふと気が付くと目の前にはこたつ布団から、叔母のデカ尻が半分出ているのです。もちろん衣服は着用していますが、丸くて大きい形の良いです。思わず顔を近づけて、臭いを嗅いで頬ずりしたい気持ちを抑えながら、目が釘付けになっていました。

エピソード7(のぞき)
叔母の巨乳押し付け、私の勃起棒擦り付けが全盛期のころ、よく叔母の全てが愛おしくてハイヒール、ストッキング、補正下着、衣服まで、ありとあらゆる私物の臭いを嗅いで興奮し、オナニーしていましたが、全て甘くていい香りだったことを記憶しています(実際には無臭などありえませんが、自分の中の叔母に対する愛情が、どんな香りをも良い香りに変換していたのでしょうか?)。でも究極の願望が、叔母の裸体を見ながらオナニーをする・・・でした。
私も高校の高学年になり、環境や周りの友人達の影響で、かなり気持ちにも変化が生じてきました。親や親族との接触を避けるようになり、あんなに叔母が帰省するのを楽しみにしていた気持ちが段々、内心とは裏腹にうっとうしく感じはじめたのです。でも性に対しての関心は益々強くなり、初心な童貞少年も他の女を知ることによって、ヤッテみたい・・・に変わってきました。でも相手は実の叔母だし、そんなことが両親にでも知れたら・・・と想像すると恥ずかしくて、そんな勇気はありませんでした。
私の学生の頃のオナペットといえば叔母の写真とビニ本です。それらの隠し場所は自室の押入れの上にあった屋根裏にでした。そこは真っ暗で電気の配線があり埃臭くて普段は親も開けたりしません。毎回、そこを覗くたびに隣の客間からの光が漏れていて、ふと?あることを考えたのです。昔から叔母の家族が帰省する際はこの部屋に宿泊するのが常でした。ほふく前進で屋根裏を進むと廊下を隔てたその先は客間の奥になっています。位置を何度も確認し客間の天井の隅に目立たない穴を開けました。屋根裏に戻り確認すると全体が見渡せる、絶好の位置だったんです。天にも昇る気持ちでした。これで長年の念願であった「叔母の裸体をじっくり観察する・・・」ことが出来るのです。
数ヵ月後、その狂喜の瞬間が訪れました。叔母の家族が帰省しにきたのです。昔のように一家団欒の場所にはあまり参加せず、部屋に籠もることが多くなっていた、その頃の私ですから、そこに居なくても誰も不思議に思いません。叔母が入浴するのを待ちつづけ、遂にその時がきたんです。時間にして10分くらいだと思いますが、じっくり裸体を堪能出来ました。大胆にも大股を開きローションを体全体に塗りたぐり、両手で巨乳を鷲掴みし、またケツメゾにも擦り込んでいました。私は叔母の入浴中こっそり客間に忍び込み、まだ暖かみのある脱ぎたての下着を拝借してましたから、左手にはベージュのパンティーで右手は・・・暗闇の中で音を立てないように細心の注意を払い、当然の行為を行っていました。滞在中の約1週間はそれの繰り返しでした。
今なら盗撮用のビデオカメラなんてありますが、当時はそんな気の利いたものなど無い時代です。また叔母の下着も拝借だけで律儀に返却していました。今から思うと、もらっておけば良い記念品になってたはずですが・・・後悔先に立たず・・・です。

一応、ここまです。長い間、駄文に付き合っていただきありがとうございました。
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01.2011

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